来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

他作品

館がすす能力者を欲しているワケ

作品の特徴として、「主従関係」の良さが挙げられるシャドーハウス。

ケイトとエミリコ、ジョンとショーン、パトリックとリッキーといった「お影様&生き人形」の組み合わせからなるキャラクター同士の掛け合いは、この作品の第一の魅力でしょう。


ただ、シャドーハウスの魅力はそれだけではありません。

ホラー展開も、熱い友情も、切ない恋物語も、焼けつくような権力闘争も、小気味いいギャグも全部楽しめるのがシャドーハウスなのです!まさに「類似作品不在」!!


また、それ以外にもバトルシーンも沢山ありますよね。綺麗な絵柄からは想像できない殴り合いが繰り広げられることもしばしばです。ジョンとギルバートの「決闘」も記憶に新しいところです。(詳細は来週発売の13巻にてどうぞ!)

そして、そんなバトルシーンを可能としているのが「すす能力」です。作中ではシャドーがすす能力を駆使し、武器として用いています。


でもこの「すす能力」

なんでこんな超能力が存在しているのかいまいち分かっておりません。シャドー特有の能力と言えばそれまでですが、能力開花しているシャドーとそうでない者がいたりと、まだまだ分からないことばかりです。

また、その能力を持つ者が優遇されているのは理解できますが、実はすす能力に関して作中では気になる台詞が見受けられます。

例えば以下のようにです。


「“能力開花”の兆しが見える」「評価します」(第37話・ソフィ)
「なんて『すす量』なのかしら」(第39話・ソフィ)
「ケイト!あいつはすすを操れる!!」(第43話・エドワード)
「シャドーの覚醒を早めるなど結果を残した」(第45話・偉大なるおじい様)
「おじい様はすす能力に長けた者を欲しているわ」(第49話・スザンナ)
「偉大なるおじい様は優秀な能力者を必要としている」(第119話・トマス)


このように、シャドーハウスで重要な地位を占める人物達が「すす能力」の重要さについて相次いで言及しているのです。

しかも前後のシーンを見てみると、単にすす能力がある者を評価しているだけではなく、すす能力者の存在を増やそうとしているのが見て取れます。


ということはです。

シャドーハウスという館は、何か企みがあって「すす能力」を持つシャドーを増やそうとしているのではないでしょうか?


本記事では「すす能力」そのものではなく、館がなぜ「すす能力者」を増やそうとしているのかその目的について考察していきたいと思います。


今回の考察では、かつてヤングジャンプで連載されていた「エルフェンリート」という漫画についても触れます。

よって、「エルフェンリート」及びシャドーハウス第145話までのネタバレを含みますので、ご注意下さい。続きを読む

映画けいおん!の公開から10周年

まだ単行本9巻も第118話の記事も上げておらず、さらにシャドーハウスとは全然関係のない話題で恐縮ですが、今後こういった機会はないと思いますので少し語らせて下さい。


10年前の今日、平成23年12月3日は映画けいおん!の公開日でした。

けいおん!といえば、2000年代末期から10年代初頭にかけて大ヒットしたアニメです。(一部では「ゼロ年代アニメの極致点」と呼ばれていました。)

当時は「日常系」と呼ばれるジャンルがブームで、けいおん!もその一つだったわけですが、その影響力は漫画・アニメにとどまらないほどでした。

京都アニメーションが描く緻密な演出や精細な作画もさることながら、楽曲が軒並みヒットチャートの上位に躍り出たり、アニメ関連以外の雑誌の表紙をジャックしたり、果てはけいおん!と関係した地域おこしがメディアに取り上げられるなどなど…。

主人公の唯達が躍動したあの3年間は、まさに社会現象といって差し支えない大ムーヴメントでした。


私もその例に漏れず、当時けいおん!に夢中になった一人です。

あの頃の私は、アニメは子供やオタクが見るものと思っていて自分には関係ないと受け止めていましたが、第1期の最終回を偶然目にした瞬間にその認識はひっくり返りました。

多分その理由は、何気ない日常に潜んだ輝きや、限られた時間の中で精一杯生きるキャラクター達、現実よりもリアリティのある、かつ誰もが描く理想的な世界が、一つの画面に収められていたからだと思います。

細部に至るまで、作品に魂を込めて下さった当時のスタッフの方々には感謝してもしきれません。本当に大きな出会いでした。

また、これも京都アニメーションの特徴ですが、微細な感情表現や仕草、現実の景色を用いた背景や実在の商品をキャラの持ち物にしたりなど、本当にちょっとした部分にも意味のある演出がなされていたことは、当時の私にとって衝撃的でした。

思い返せば、漫画やアニメの演出を突き詰めて見るきっかけはこの作品にあったと感じます。

今、こうしてシャドーハウスを毎日のように読み込み、そして事あるごとに考えているのはけいおん!という素晴らしい作品があったからこそです。もしあの日の深夜にテレビを付けていなかったら、今の私はありません。


さて、こんな風に書いていると、影野はシャドーハウスとけいおん!どちらが好きなのかと思われるかも知れません。シャドーハウス以外について語るのは初めてですしね。

ただ、その答えは出ています。

シャドーハウスとけいおん!、どちらも「いちばん」です。

映画けいおん!のオープニングソングは「いちばんいっぱい」という曲でした。主人公の平沢唯が、ささやかな日常の幸せを歌う、とても優しい歌です。

その中にこんなフレーズがあります。

「百億個の一番 ぜんぶ宝物」

この歌詞の後にも「何個目の一番も 代わりなんてなくて」という似た言葉があります。

そんな風に、楽しいものやおいしいもの、様々な出会いや幸せを掴んでは手放し、そうやって生きていく。この歌は、彼女達の生きる世界の煌めきが散りばめられた、けいおん!シリーズそのもののテーマソングです。

だから、私の中でどちらが良いとか優れているとかはありません。
二つとも大切な作品です。


あれから10年。あの頃はけいおん!以上の作品に出会うことはもうないと思っていましたが、二つ目の「いちばん」を見つけることができました。

そして、それはとりもなおさず「けいおん!」が導いてくれた、とても幸運な出来事でした。

この次の10年がどうなるかは分かりません。もしかしたらシャドーハウスとは違う楽しみを、新たに見つけ出しているかも知れません。

ただ、それでもなお、いくら月日が経ってもけいおん!とシャドーハウスが「いちばん」で、大切な宝物であり続けることは間違いありません!

あの感動から10年経った今、そんな風に考えています。

映画けいおん!グッズT2
上の画像は、当時購入した映画関係のグッズです。
お気付きかと思いますが、当時の推しキャラは琴吹紬ちゃんでした。

そういえば先日発表された明治安田生命の「名前ランキング2021」では、女の子の1位が初めて「紬」になったそうですね。どちらかと言えばメインキャラとして控えめな彼女でしたが、記念の年に現実とリンクするとは、偶然だとしても不思議な縁を感じました。



「ギリギリアウト」のウィキペディア新規記事作成

ブログでのお知らせが遅くなってしまいましたが、先日ソウマトウ先生の過去作「ギリギリアウト」のウィキペディア新規記事を公開しました。

ギリギリアウト-Wikipedia

9月19日が連載開始記念日ということもあり、一日遅れでしたが何とか記事としてまとめることができました。

現状、これが私が調べ上げられるだけ調べた情報です。「黒」同様Web上の情報が少なく、それらを繋ぎ合わせるのが大変でした。


特に苦労したのが、海外版は全くと言っていい程情報がなく、手掛かりは先生のツイート1件のみだった点です。

台湾やタイなどアジア数国で出版されているとのことですが、何故かシャドーハウスを出版している青文出版社SIAM INTER COMUC社で検索しても全然出て来ないんですよね。また、「黒」の韓国語版を出版している鶴山文化社もシャドーハウスはヒットしても、ギリギリアウトは検索に出てきません。

他にも「黒」「シャドーハウス」を出版しているヨーロッパ各国の出版社でも見つかりませんし、ツイッターでも情報がないのでお手上げ状態です。

ですので、もしもこのブログを読んでいる方の中に、そうした情報を知っている方がいましたら是非教えて頂けますと幸いです。

また、前回も申し上げましたが、ウィキペディアの編集に慣れているという方でしたら私を経由しないで直接更新頂いて全然構いません。(フリー百科事典ですしね。)


更に、これも「黒」と同じですが、「ギリギリアウト」も国内メディア・著名人の評価や感想がほとんど見つかりませんでした。

ですので、何か書評的な記事(個人ブログやツイッターではないもの)をご存知の方がいましたら情報提供お願いできればと思います。


ただ、記事を作成している時は大変だっただけではなく、調べてみると興味深い事実が出てきたのは大きな収穫でした。

一番面白かったのは、「ギリギリアウト」の歴史を分析してみたらソウマトウ先生の作品群が次々と現れたことです。

「ギリギリアウト」が「電撃大王ジェネシス」で掲載された経緯はソウマトウ先生のキャリア初期の受賞歴が関係していますし、一時休載期間は「黒」と重なっており、再開もほぼ同じでした。

休載期間中はソウマトウ先生の初めてのコミックスとなった「寄生少女サナ〜Parasistence SANA〜」の連載が開始していたり、短期間だったものの好評だった「マジョトキノコ」をリボンで連載していたりします。

また、実は先生にとって初めてのオリジナルコミックスは「ギリギリアウト」でした。「黒」よりも2か月早く出版されているのです。

そして「ギリギリアウト」が最終回を迎え、最終巻が発売された2か月後にシャドーハウスの連載が始まります。

こう見てみると、「ギリギリアウト」を語ることは、ソウマトウ先生のデビューから現在までを語ることと言っても差し支えないと思います。突飛な作風が話題になりがちな「ギリギリアウト」ですが、「黒」「シャドーハウス」と並ぶ先生の代表作です。

実際、6年間に亘る連載は、現在でもソウマトウ先生の作品群の中で最長連載期間となっております。


ですので、もしもまだ「ギリギリアウト」を読んだことがないという方がいましたら、是非読んでみて下さい!

一見敬遠しそうになる設定ですが、登場人物の細かい内面描写や表情の描き分けはシャドーハウスに通じるものがあります。私は自信を持って、良質な恋愛漫画としてお勧めします。


では長くなりましたが、ウィキペディアの「ギリギリアウト」、一瞥だけでも読んで頂けると嬉しいです。また、間違っている記述等ございましたらご遠慮なく御指摘下さい、宜しくお願い致します。



ソウマトウ先生の過去作品のご紹介(ゆるコワガール)

先週から、とうとう東京オリンピックが始まりましたね。

始まる前は喧々諤々様々な議論が交わされていましたが、始まってみればアスリートの超人技に皆が夢中です。

決して順調とはいきませんでしたが、このまま誰もが笑顔で終われる祭典になれば良いですね。


ところで、今月は開会式があったこともあって中旬は四連休でした。

私もその恩恵を受け久々の連休でしたが(でも土曜は出社…)、その際に実家の押入れを整理していたら面白いものを発見しましたのでご紹介します。


その面白いものとは、ソウマトウ先生がかつて連載していた「ゆるコワガール!」です!!

扉


ソウマトウ先生の本格的な商業誌連載は「黒」が初めてでしたが、実は小規模な連載は何度があったんですよね。例えばリボンで連載された「マジョトキノコ」も、単行本化されてはいませんが連載という形式をとっていました。

この「ゆるコワガール!」もそんな作品の一つです。

本作品が掲載されたのは芳文社が誇る「まんがタイムきらら」。
「ゆるコワガール!」は2012年1月号から3月号まで掲載されました。

きらら表紙


なぜ私がこの雑誌を持っていたのかと言いますと、当時「けいおん!」にはまっていたこともあり定期的に読んでいたからです。

ただ毎月買っていたわけではなくて、この時は第100号ということもあって記念に買っただけでした。それがまさか、9年後にこういう形で引っ張り出すことになろうとは思ってもみませんでしたよ。

9年前の自分超グッジョブ!

ちなみにこの雑誌を探すきっかけとなったのはソウマトウ先生のHPです。先生の来歴が載っているページがあるのですが、そこに「ゆるコワガール!」がきららで連載していたことが書いてあったので探してみたわけです。

そこで押入れを漁ってみたらこの再会ですよ。「もしかして……」と思っていましたが、本当に見つかった時は凄く嬉しかったです。

しかも読んでみたら、この「ゆるコワガール!」を当時読んでいたことも思い出しました。

「シャドーハウス」よりも「ギリギリアウト」よりも「黒」よりも前に、ソウマトウ先生の作品に触れていた……!

自分自身のことなのに驚くばかりです。9年前の自分に会えたら、「お前この先生はちゃんとマークしとけよ」と教えたい気分ですね。

さてこの「ゆるコワガール」、本当は全ページご紹介したいところですが、それだと著作権的にアウトなので続きより一部だけご紹介します。

ではその他の作品の雑談も含みますので、続きよりどうぞ。


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「黒」を読んで(感想記事-世界観についての解釈-)

今週、連載開始日から丁度10周年目を迎えた、ソウマトウ先生作「黒」。

シャドーハウスが有名になってから暫く経ちますが、未だにSNSでは『シャドーハウスって黒の作者さんなの!?』とか『絵柄が似てると思っていたら同じ人だった!』なんていうコメントを時々見かけます。

それだけ、奇作でもあり名作でもある「黒」は、読んだ人の心に残る漫画だったのでしょうね。

そういえばシャドーハウスの連載が始まった頃、連載予告や巻頭カラーで「黒の奇才、初の週刊連載!」なんていう、明らかに「黒」を意識したコピーが載っていました。

直近の作品ではなくわざわざ「黒」を持ち出してくるということは、それだけ当時の"ソウマトウ先生=「黒」”のイメージは強烈だったのでしょう。

いわば『ソウマトウ作品群』の代表であったともいえます。
(もっとも前作の「ギリギリアウト」はシャドーハウスと作風は異なりますし、何よりKADOKAWAが発行元だったので編集部側がPRしなかった可能性の方が高そうですが)


さて、その「黒」ですが、本ブログをご覧の皆様は読んだことがおありでしょうか?

恐らく既読・未読両者が拮抗しているのではないか、というのが私の推測ですが、未読の方は是非読んでみて下さい。
ソウマトウ先生の絵柄が好み・少し謎のある日常ものが好きだ、という方には楽しんで頂けると思います。

そして、1回読んだだけという方がいましたら、是非もう一度読み返して下さい。
シャドーハウスと同じく、細かい描写に散りばめられた伏線やキャラの感情の機微に、改めて驚かせられるかと思います。


ところで、「黒」に関しては、世界観や各シーン・ストーリーについて様々な解釈がされていますね。謎が謎のまま終えてしまっているので、受け取る側の見方によって読み味が変わる作品といえましょう。
ある意味、明確な答えのない童話や昔話に似ています。

読者の想像にお任せする部分が多い作品については、それで(が)良いという方もいれば、答えがぼやけているのが肌に合わないという方もいるかと思います。

私の場合は、ファンタジーなのだからあるがまま受け止めればいい、というスタンスなのでどちらかといえば前者です。もっとも、こうなると人それぞれの好みの問題ですけどね。


ただ、そうは言っても気になるのは『結局この物語は何だったんだ?』という部分です。

実際に、ココが暮らす世界は奇妙な生物が跋扈し、しかもそれを視認出来たりできなかったりという、常識では測れない場所です。

特に“化け物”と呼ばれる生命体についてはその最たるものでしょう。


そこで本記事では、ソウマトウ先生の過去作や海外メディアの評価を参考に、漫画「黒」の世界観の一部を分析したいと思います。

当然の如く、漫画「黒」のネタバレがありますので未読の方はご注意を。
そしてシャドーハウスについても第71話までのネタバレ含みます。

では感想は続きよりお願い致します。



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