物事を簡単簡潔、かつ明確に人に伝えるのは骨が折れます。
私もブログを書く際に苦労するのはこの部分ですが、どうしたって伝えたいものが多すぎると冗長になってしまいます。
特に、各話のあらすじを書くときはそれが顕著ですね。
自身の考えを述べるだけの考察記事と違い、物語をなぞりながら書くあらすじは、当然文量が多くなります。
ましてや、各1話あたりの情報量が多いシャドーハウスであれば尚更です。
ところが、なんとそれをうまく解決しているブログがあります。
今回ご紹介する、はっかいにゃー氏の
“はっかいにゃーとかみきれのやま”(https://hakkainya.com/)
というブログです。
まだシャドーハウスの記事は少なめですが、各話のあらすじをコミカルかつテンポよく書いていますので、読んでて全く苦になりません。
私のブログを読んでいて、「いつもいつも長い上に回りくどいんじゃあ!!!」と思った方は、もしかしたらはっかいにゃー氏のブログを読んでみると、幸せになれるかも知れません。
さて、ツイッターもやらない管理人がなぜ、他者様のブログを紹介するのか疑問に思う方もいるかと存じますが、これには理由があります。
実は、これから書こうとしていた考察を、はっかいにゃー氏が先にブログで公開していたからです。
結論は同じでも切り口は違いましたが、先んじて試験官三人組の正体を書いたはっかいにゃー氏のブログに敬意を表して、今回紹介した次第なわけです。
というわけで、第36話で登場したジェイとエリー、そしてエドワードとは一体何者なのかいう考察を書いていきたいと思います。
ではネタバレ等含みますので、続きよりお願い致します。
私もブログを書く際に苦労するのはこの部分ですが、どうしたって伝えたいものが多すぎると冗長になってしまいます。
特に、各話のあらすじを書くときはそれが顕著ですね。
自身の考えを述べるだけの考察記事と違い、物語をなぞりながら書くあらすじは、当然文量が多くなります。
ましてや、各1話あたりの情報量が多いシャドーハウスであれば尚更です。
ところが、なんとそれをうまく解決しているブログがあります。
今回ご紹介する、はっかいにゃー氏の
“はっかいにゃーとかみきれのやま”(https://hakkainya.com/)
というブログです。
まだシャドーハウスの記事は少なめですが、各話のあらすじをコミカルかつテンポよく書いていますので、読んでて全く苦になりません。
私のブログを読んでいて、「いつもいつも長い上に回りくどいんじゃあ!!!」と思った方は、もしかしたらはっかいにゃー氏のブログを読んでみると、幸せになれるかも知れません。
さて、ツイッターもやらない管理人がなぜ、他者様のブログを紹介するのか疑問に思う方もいるかと存じますが、これには理由があります。
実は、これから書こうとしていた考察を、はっかいにゃー氏が先にブログで公開していたからです。
結論は同じでも切り口は違いましたが、先んじて試験官三人組の正体を書いたはっかいにゃー氏のブログに敬意を表して、今回紹介した次第なわけです。
というわけで、第36話で登場したジェイとエリー、そしてエドワードとは一体何者なのかいう考察を書いていきたいと思います。
ではネタバレ等含みますので、続きよりお願い致します。
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まず私の考察を述べる前に、はっかいにゃー氏の第36話の考察をリンクしておきます。
“シャドーハウス第36話【試験官】の感想・ネタバレ注意”
という記事です。
ここで提唱されたのは、試験官三人組(エドワード・エリー・ジェイ)は生き人形ではなく、シャドーだという説です。
中身の詳細ははっかいにゃー氏のブログに譲りますが、かいつまんで言うと、
・アイリーンとエリーの耳飾りが全く同じである。
・エドワードの一人称が終盤で変わっている。
・生き人形なのに、「偉大なるおじい様」と口に出している。
以上3点が根拠です。
確かに、こう考えると本当にそう思えてきます。
特に一番最初の、アイリーンとエリーの耳飾りについては全く気が付きませんでした。
こんな些細なことに気付けないようでは、デートの際に女の子に振られることは必至です。
今後気を付けたいと思います。(※実体験ではありません)
話を戻しますが、エドワードの「偉大なるおじい様」呼びはこれが初めてではありません。
彼が初登場した際に、自らの住まいを「おじい様と共にある棟」と紹介していました。
少し言い方は違いますが、「シャドー家を統率する(以下略)」という呼び方を略していることに変わりはありませんから、この時言っていた「特別な生き人形」という自己紹介は誇張ではなかったわけです。
一人称については、エドワードの場合『俺』『私』とややブレがあるのですが、終盤の『私』のルビが『エドワード』となっていますので、あえて普段との差別化を図っていると考えられます。
十分有力な根拠でしょう。
さて、では“試験官三人組=シャドー”説を補強するために、私が気付いたことをこれから述べていきます。
それは、エドワードとエリーの会話です。
エリーは回想の終わりの方で、
「“顔”として下の子たちと関われるエドが羨ましいわ」
と言っています。
彼女の「エド」呼びも気になるところですが、これについては別記事で書いていきたいと思います。
それよりも注目したいのが、わざわざ「“顔”として」と彼女が言っていることです。
生き人形なのだから、表舞台に出るときは“顔”であるに決まっています。
なのに、まるで別の立場があるかのように話す彼女の語り口には違和感しかありません。
その上、エドワードはエリーにこう返しています。
「接待はアイリーン様とジェラルド様にお願いしたい」
なぜここで、突然二人のお影様の名前が出てくるのでしょうか。
そもそも上位のシャドーに生き人形が直接関われる筈がないのですから、エドワードの台詞には何の問題もありません。
なのに、わざわざ含みがありそうな顔で返事するとはどういうことでしょうか。
それについては、次のエリーの言葉が重要な鍵になります。
「…やめてよね そういう皮肉」
エドワードの発言は、お影様に対して失礼なもののように思えますが、それに対して出た台詞が、「皮肉」でした。
この一連の会話は、どう考えても彼ら三人がシャドーあるいはそれに準じた存在であると推測しなければ、整合性が取れません。
もしかしたらあくまで、「特別な生き人形」という立場なのかも知れませんが、いずれにせよエミリコやショーンといった生き人形とは全く違う存在とみて間違いはないでしょう。
新たな謎が、また増えました。
しかし仮に、ここまで書いてきたことが事実ならば、これからケイトやエミリコはどうなってしまうのでしょうか。
これがケイトが言っていた、『秘密』と何か関係があるのでしょうか。
エミリコと同じく、
「シャドーハウスってなんなのでしょうか?」という疑問は尽きそうにありません。
まず私の考察を述べる前に、はっかいにゃー氏の第36話の考察をリンクしておきます。
“シャドーハウス第36話【試験官】の感想・ネタバレ注意”
という記事です。
ここで提唱されたのは、試験官三人組(エドワード・エリー・ジェイ)は生き人形ではなく、シャドーだという説です。
中身の詳細ははっかいにゃー氏のブログに譲りますが、かいつまんで言うと、
・アイリーンとエリーの耳飾りが全く同じである。
・エドワードの一人称が終盤で変わっている。
・生き人形なのに、「偉大なるおじい様」と口に出している。
以上3点が根拠です。
確かに、こう考えると本当にそう思えてきます。
特に一番最初の、アイリーンとエリーの耳飾りについては全く気が付きませんでした。
こんな些細なことに気付けないようでは、デートの際に女の子に振られることは必至です。
今後気を付けたいと思います。(※実体験ではありません)
話を戻しますが、エドワードの「偉大なるおじい様」呼びはこれが初めてではありません。
彼が初登場した際に、自らの住まいを「おじい様と共にある棟」と紹介していました。
少し言い方は違いますが、「シャドー家を統率する(以下略)」という呼び方を略していることに変わりはありませんから、この時言っていた「特別な生き人形」という自己紹介は誇張ではなかったわけです。
一人称については、エドワードの場合『俺』『私』とややブレがあるのですが、終盤の『私』のルビが『エドワード』となっていますので、あえて普段との差別化を図っていると考えられます。
十分有力な根拠でしょう。
さて、では“試験官三人組=シャドー”説を補強するために、私が気付いたことをこれから述べていきます。
それは、エドワードとエリーの会話です。
エリーは回想の終わりの方で、
「“顔”として下の子たちと関われるエドが羨ましいわ」
と言っています。
彼女の「エド」呼びも気になるところですが、これについては別記事で書いていきたいと思います。
それよりも注目したいのが、わざわざ「“顔”として」と彼女が言っていることです。
生き人形なのだから、表舞台に出るときは“顔”であるに決まっています。
なのに、まるで別の立場があるかのように話す彼女の語り口には違和感しかありません。
その上、エドワードはエリーにこう返しています。
「接待はアイリーン様とジェラルド様にお願いしたい」
なぜここで、突然二人のお影様の名前が出てくるのでしょうか。
そもそも上位のシャドーに生き人形が直接関われる筈がないのですから、エドワードの台詞には何の問題もありません。
なのに、わざわざ含みがありそうな顔で返事するとはどういうことでしょうか。
それについては、次のエリーの言葉が重要な鍵になります。
「…やめてよね そういう皮肉」
エドワードの発言は、お影様に対して失礼なもののように思えますが、それに対して出た台詞が、「皮肉」でした。
この一連の会話は、どう考えても彼ら三人がシャドーあるいはそれに準じた存在であると推測しなければ、整合性が取れません。
もしかしたらあくまで、「特別な生き人形」という立場なのかも知れませんが、いずれにせよエミリコやショーンといった生き人形とは全く違う存在とみて間違いはないでしょう。
新たな謎が、また増えました。
しかし仮に、ここまで書いてきたことが事実ならば、これからケイトやエミリコはどうなってしまうのでしょうか。
これがケイトが言っていた、『秘密』と何か関係があるのでしょうか。
エミリコと同じく、
「シャドーハウスってなんなのでしょうか?」という疑問は尽きそうにありません。